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「暮らし」の新米

仕事をするようになってから、家で過ごすよりも外で活動する時間が圧倒的に長かったので、わたしは長年「暮らし」の外側にいた。さらに言うと、母や祖母や叔母たちは「暮らし上手」だった。家事と仕事を両立させ、日々、規則正しい生活を送りながら楽しいものに囲まれ、とても自由そうに見えた。それなので、自分も家族を持てば、当たり前のようにそんな振る舞いができるものだと思い込んでいた。それが、全くそうならない。朝、台所に立ち、食事を作って片付ける。それから仕事に出かけて、帰ってきたらまた台所に立つ。子供ができるまでは、料理人に作ってもらったご飯を食べるのが日常で、自炊が非日常だった。美味しいものを食べるため、飲むために働いていたと言っても過言ではない。それが、子の親になって生活が一転した。そもそも最初の生活が普通ではなかったのも承知している。けれど、ライターという仕事柄、夜遅くまで皆とワイワイ働いて、外で仲間と食事をするのは何も違和感のないことだったのだ。思えば、祭りの準備みたいな毎日だった。だから突然「暮らし」がスタートして戸惑い、奮闘している。「やっていくうちにコツが掴める」と聞いていた料理も、家族が気持ちよく過ごせるようにする家事も、すべてに気合いが必要で、だんだん「暮らし」という言葉の恐怖症になっていった。ところが不思議なことに、ある日、家事をしながら気持ちがふっと軽くなることがあった。昨日と同じ作業なのだけど、気合いなしで出来た。これが先輩たちの言う「慣れ」なのだろう。その数が増えれば増えるほど、「暮らし」は自分のものになっていくのかもしれない。まだまだ奮闘中の身だけれど、それはわたしにとって何より喜ばしい体験だった。

photo:Suzuki Yosuke text:Yoshida Naoko

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