
11
- 春は通り過ぎてゆき‥
-
子どもの頃からわたしは、「何かに執着する」ということがあまりなくて、自分はコレというのは決まっていたのですが、なんとなくそれらは身の回りに自然にあったというのか、身近にあるものを割とすんなり好きになれたんです。家にあるもので遊び、同じ本を繰り返し読むような子どもでした。そういう人、けっこういるんじゃないでしょうか。自分から是が非でも何かを取りに行きたいという気持ちがないこと、長年親しんできた「執着がない」という性質が、美大に入ったときやライターの仕事を始めたときには、少なからずともコンプレックスになりました。なぜなら周りのみんなはたくさん好きなモノを持っていたから。それは物質だけではなく知識の面でもそうでした。わたしも慌ててミニシアターやライブハウスに通ったり、アントワープ出身デザイナーの服を着たり、なんとか個性を磨こうとしましたが、人間の根本はそう変わるものではなかった。それらは栄養にはなったものの、友人たちのように自分を形成するほどの強固な何かにはなりませんでした(そうやってもがいた日々も「今」につながってはいますが)。自分に問うた結果、わたしはカタチのないもの、「人との会話」が好きなのだと気がつきました。モノを作っている今も、一番はモノじゃないことに自分でも拍子抜けです。でも、楽しい会話が成り立った時間を宝物にして生きていけると思うんです。だからこの自粛の日々はなかなかどうしてつらい。あっという間に4月も通り過ぎていきました。4月になると亡くなったイラストレーターの和田誠さんのことを思い出します。仕事でお会いしたときに、和田さんとわたしの誕生日が同じことを面白がって、「同じ誕生日は変なやつが多いんだよ」と笑っておられました。大先輩とあんなに会話が弾んだことはなく、もちろん先生の優しさのおかげだったのですが、いつも満たされた気持ちで原宿の事務所から帰ったのを思い出します。あの時間にわたしは執着します。これから世界は変わらざるを得ないと思いますが、みんながそれぞれの部屋で過ごし、人に会わなくても成り立つような世界にならないことを祈るばかりです。
photo:Suzuki Yosuke text:Yoshida Naoko